高く手を振る日/黒井千次
近年の黒井千次の名作、「高く手を振る日」です。
内容(「BOOK」データベースより)
妻を看取って十余年、人生の行き止まりを意識し始めた嶺村浩平は、古いトランクからかつての大学のゼミ仲間・瀬戸重子の若々しい写真を見つける。そして甦る、重子と一度きりの接吻を交わした遠い思い出。思わぬ縁で再会した重子の勧めで、七十代にして初めて携帯電話を持った浩平は、秘めた想いをメールに込めるが…。恋に揺れる、老いの日々の戸惑いと華やぎを描く傑作小説。
前半に繰り返し出てくる、「行き止まり」の感覚、もちろん老いの先にある「死」です。
時に遠く、時に切迫した感覚として主人公にまといます。
ちょっと難しいかもしれませんが、この行き止まりの描写がすごい!
土鍋の中で粥でも煮るように様々の思いがぶつかり合い、曖昧に形を崩しながら次第にまとまっていく気配
黒井千次には、はっとさせる描写がいつもあります。
他にもメールのやり取りのくだりは名文の宝庫!
こちらは自身でご確認を。
ネタバレなしでいきますが、甘酸っぱく、切ない後半について少し。
老いてからの恋愛、
確かにそうなのですが、
最後に流れる古い時間。
詳しくは書けませんが、最重要なのは「家」です。
浩平が作ったモルタルの家、
灰色がかって濁った壁面、
小さな庭に所狭しと植えられた木。
何でもない、
おそらくおじいさんの家と聞いて僕らが思い浮かべるような家。
「あのおうちに住んでたのね」
重子の発する一言は、浩平、芳枝に対する、はたまた重子自身、彼らの世代全部に対する全肯定。
小説には書かれていない、たくさんのことが詰まった家。
人生と人生が、最後にまたクロスする。
何が起こったのか、そしてもう何が起こらないのか、承知しているようでまだ認める気にはなれない平原のような領域
老いについて書かれていますが、まだ達観しているわけではありません。
そして、この切ないかつ活き活きと感情豊かな老後。
今までの老人像を覆す、新しい老人像です。
でもこれは黒井千次の時代の老人。
これからの老いはまた違った形をたどるでしょう。
新しい時代を生きる私たちだからこそ、また違った老いが待ち受けているはずです。
その老いを私たちはしっかり生きられるかどうか、
毎日を誠実に生きて、
新しい生き方を模索するように、新しい老い方をも探っていかなければならないのでしょう。
老い老いと繰り返してしまいましたが、第一級の文学作品です。
老いを意識していなくとも(僕もそうでした)、引き込まれますのでご安心ください。
高校生以上、また保護者の方もどうぞ。