想像ラジオ/いとうせいこう

 

内容(「BOOK」データベースより)

深夜二時四十六分。海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺんから、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聴こえるという、ラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。その理由は―東日本大震災を背景に、生者と死者の新たな関係を描き出しベストセラーとなった著者代表作。

 

マルチに活躍するいとうせいこう。

キャリアは十分ですが、小説家としては寡作。

野間文芸新人賞受賞、受賞はなりませんでしたが、たしか芥川賞にもノミネートされたはず。

 

東日本大震災を題材にした「想像ラジオ」。

皆そうだと思いますが、ダメージを受けすぎていて、興味はありつつ置いておいてしまってました。

 

「死者を悼む」とは、「生と死」とは、

文学の世界では、もはやありきたりとさえ言われるこのテーマは、

震災以降、また違ったとらえ方を迫られています。

 

そこに果敢にトライした、

トライせざるを得なかったいとうせいこう。

その姿勢に感服するものの、

でも、なにか釈然としない読後を感じていました。

 

東日本大震災では茨城県も被災地。

大子町の被害はさほどではありませんでしたが、

電気が関東の他地域に比べ復帰が遅かったこともあり(5日くらい?)、

情報はラジオだけ。

津波の映像は電気が復帰してようやく目にしました。

このメディアの情報不足が、東日本大震災の時の一応当事者である僕と「想像ラジオ」のギャップを感じさせたのかもしれません。

 

ですが、今回の熊本地震、

当事者としてではない自分がリアルタイムに情報に接し、見方が変わったように思います。

 

死者を思うこと、悼むことは当然のヒューマニティ。

ですが、

圧倒的な暴力(災害)がメディアを通して洪水のように伝わっていきます。

対応の遅さが批判されていますが、

自衛隊の派遣や企業の物資運搬や募金、一般の人のボランティアなどのアクションは、

僕にとってはすごいスピード感です。

 

情報の伝わってくるスピードも速く、発生直後から途切れなく情報が入ってきます。

災害の客観的な情報とともに、救えるはずの命を目の当たりにもします。

当事者の悲しみや怒り、

当事者でない人たちの悲しみや同情、

災害の事実とともに、自他を含めた処理できないほどの圧倒的な量の感情を受け止めなければならないのです。

 

その感情量をすんなりと受け止められる人々、

作中のボランティアのように感情の一部を割り切って進む人々と、

感情を受け止めきれずに、漠然とした罪悪感を抱いて進めない人々がいるのではないでしょうか。

 

もちろん感情の受け止め方に良し悪しはありません。

 

執筆したいとうせいこうも、東日本大震災では感情を受け止めきれなかったのではないかと想像します。

本文でも出てきますが、悲しんでいないということとは違います。

受け止めきれない漠然とした感情、気持ちを整理することは、個人的な問題でもあり、思い上がりであり、被災された方に直接寄り添うようなものではありません。

 

でも、

残ったものひとりひとりが、個人的に(いっぺんに被災するわけですが、体験は個人的です)その感情を整理することは、前に進んでいくことにつながります。

 

震災から5年がたち、検証が行われ、

復興や支援など行政の問題もゆっくりとではありますが粛々と進んでいます。

それでも消えないのは、

残されたものがあの体験をどう処理していくか?

ということだと思います。

答えは個人の中にあり、心のケアなどで簡単に解決できるようなものではありません。

 

震災から5年、

文学、物語の力が今こそ必要なのかもしれません。