群棲/黒井千次
黒井千次(くろいせんじ)の代表作「群棲(ぐんせい)」。
群棲、路地を挟んで向かい合う四軒の家をめぐる連作です。
※連作とは、共通のテーマを持つ短編が、全体でひとつの作品を取る形です。
時代は80年代。
核家族化が進み、それまでの家族観が変わっていく時代です。
「家」は文学上の重要ワード。
戦前からのいわゆる「家」は当然崩壊しています。
本作に登場する織田家は核家族、安永家は祖母と夫婦と子、滝川家は子供の独立した夫婦、木内家は若い夫婦世帯。
いずれもが、新しい「家」が自分たちの居場所であるかどうかに懐疑的であり、程度の差はありますが、各家庭内でなんらかの問題を抱えています。
程度の差とは、客観的な差であり、当人たちにとっては幸せの尺度とはなりません。
共通しているのはやはり、「自分の居場所がここでいいのだろうか」という漠然とした居心地の悪さです。
「自分の居場所はここではない」、「自分の居場所探し」ではありません。
「ここでいいのだろうか」という「不安、懐疑」です。
その不安ですが、描き方が実に見事です。
自然で、暗喩が的確です。
※暗喩(メタファー)とは、「まるで」や「ような」を使わずにたとえを表現することです。
小説(文学)では、ストーリー自体にメタファーを組み込むことがあります。
(作家の意図していない時もあります)
ネタバレのない参考程度に、暗喩に満ちた設定、キーフレーズを記しておきます。
・以前の家の上に(井戸の上に)新築の家を建てる。
・以前の自分の住んでいた家の面影を必死で伝えようとする。
・庭に離れに親を呼び寄せようとする
・井戸の水が家を沈める
・古い電気スタンドを購入する
・切られた桜の木
・古い家に2階を足す
・老人の記憶錯綜
・庭の芝生
・鉄の門扉
などなど。
なぜそんな不満な生活から彼ららは出ていかないのか?
象徴的なラストでの紀代子のセリフ
~「約束を破ってでもお出になれる方は、素敵ですわ」
いい、悪い。こうすればいい。
小説は生き方の示唆ではありません。
見事に80年代の4軒の家、つまり80年代の日本の家を描き出しています。
ちなみに僕はこの小説で言うと、織田家の子どもたち(小学生)の世代。
井戸の上に家を建てているにもかかわらず、放課後の家に入れず近所から水泥棒をする姿が描かれていました。
上の世代へのぼんやりとした違和感と敵意。
なるほど。
高校生以上の皆さん、どうぞ(‘◇’)ゞ