読書の町宣言!今村夏子「こちらあみ子」

先日の芥川賞を受賞した今村夏子。

デビュー作の「こちらあみ子」です。

太宰治賞を取った今作を手に取ったのは半年ほど前。最初の数ページで引き込まれる独特の世界観。「こちらあみ子」は2010年の作。その後の芥川賞受賞も当然の流れです。

内容(「BOOK」データベースより)

あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれ兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞受賞の異才のデビュー作。書き下ろし短編「チズさん」を収録。(Amazon)

 

圧巻の「こちらあみ子」。あらすじが分からない程度に感想を書いてみます。

学校、家族、社会の中で「普通」に生きることのできないあみ子。今作を読みながら、こうすればいいのにとか、お兄ちゃんの気持ちにこたえてあげてとか、のり君もやさしいななどときっと思うでしょう。

あみ子は変わった子、純粋な子です。だからこそいやおうなしに周りに影響を与えます。「純粋さに触れて周りの人生も変わった」などという「いい意味」の変化ではありません。

「純粋」に生きることは世間とのかかわりあいの中で生きる以上、現代社会では不可能です。本当の純粋さに向き合わなければいけないことは、この社会で「普通に」生きる人間にとって非常につらいことなのです。だから、あみ子にかかわる人は、どの人物も「優しい」のに、あみ子とともにいることはできないのです。

ですが、「あみ子的」なもの、純粋さは、誰しもが心のうちに持っているものです。ですから、読んでいるうちに、かたや世間的にはのり君たち周りの登場人物を擁護し、一方ではあみ子を応援してしまいます。

「あみ子」という名はおそらく社会のネットワークを指す「あみ」、「ネット」からの発想だと思います。この社会は一人で生きることはできず、程度の差こそあれ、お互いに支えあい、影響しあいながら形作られているのです。

そういった中で、「あみ子的」なものは果たして保たれていくのか。「あみ子的」なものはなくなって、排除されても構わないのか。

「普通に」生きている私たちがあみ子のように生きることは不可能です。でも、あきらめてよいのでしょうか。「こちらあみ子」というあみ子からの呼びかけに向き合って、応答していかねばならないのだと思います。