6月、学び舎初の分教室が、常陸大宮にオープンします。
オープンを記念し、大子教室でもキャンペーンを実施!
5,6月中に新規入会された生徒は、初月分の月謝が半額になります!
月途中からのご入会でも、まるまるひと月分の月謝に適応させていただきます。
6月末までの受付分です。
どうぞご活用ください。
6月3日(金)オープンの学び舎の常陸大宮校、toiro学習教室学び舎(といろがくしゅうきょうしつまなびや)。
雑貨屋さんで始める、あたたかい雰囲気の学習空間。
チラシ広告はオープン当初は控え、近隣への案内パンフレット配布とネットのみでのご案内です。
ていねいさ、あたたかさ、少人数制、
toiro学習教室のコンセプトを大切に、
お友達や口コミなどでゆっくりと浸透していければと考えています。
ご入会者には、6月末までお友だち紹介用紙を配布しています。
どうぞお気軽にご相談ください。
5月14日土曜日、17時から19時の日程で各中学校の中間対策を行います。
※参加希望者は、前日までに待合室の名簿に記名、またはメールでご連絡ください。お迎えは行いません。
※Keyテスト教材を使ってテスト範囲の学習をします。Keyテストは12,13の授業、または当日に配布します。範囲表は必ず持参してください。
※当日だけで、すべての教科の範囲を終わりにすることはできません。当日は質問のある教科など1教科から2教科にしぼってすすめたほうがいいでしょう。残りの教科は家や自習室を使って進めましょう。
内容(「BOOK」データベースより)
深夜二時四十六分。海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺんから、「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聴こえるという、ラジオ番組のオンエアを始めたDJアーク。その理由は―東日本大震災を背景に、生者と死者の新たな関係を描き出しベストセラーとなった著者代表作。
マルチに活躍するいとうせいこう。
キャリアは十分ですが、小説家としては寡作。
野間文芸新人賞受賞、受賞はなりませんでしたが、たしか芥川賞にもノミネートされたはず。
東日本大震災を題材にした「想像ラジオ」。
皆そうだと思いますが、ダメージを受けすぎていて、興味はありつつ置いておいてしまってました。
「死者を悼む」とは、「生と死」とは、
文学の世界では、もはやありきたりとさえ言われるこのテーマは、
震災以降、また違ったとらえ方を迫られています。
そこに果敢にトライした、
トライせざるを得なかったいとうせいこう。
その姿勢に感服するものの、
でも、なにか釈然としない読後を感じていました。
東日本大震災では茨城県も被災地。
大子町の被害はさほどではありませんでしたが、
電気が関東の他地域に比べ復帰が遅かったこともあり(5日くらい?)、
情報はラジオだけ。
津波の映像は電気が復帰してようやく目にしました。
このメディアの情報不足が、東日本大震災の時の一応当事者である僕と「想像ラジオ」のギャップを感じさせたのかもしれません。
ですが、今回の熊本地震、
当事者としてではない自分がリアルタイムに情報に接し、見方が変わったように思います。
死者を思うこと、悼むことは当然のヒューマニティ。
ですが、
圧倒的な暴力(災害)がメディアを通して洪水のように伝わっていきます。
対応の遅さが批判されていますが、
自衛隊の派遣や企業の物資運搬や募金、一般の人のボランティアなどのアクションは、
僕にとってはすごいスピード感です。
情報の伝わってくるスピードも速く、発生直後から途切れなく情報が入ってきます。
災害の客観的な情報とともに、救えるはずの命を目の当たりにもします。
当事者の悲しみや怒り、
当事者でない人たちの悲しみや同情、
災害の事実とともに、自他を含めた処理できないほどの圧倒的な量の感情を受け止めなければならないのです。
その感情量をすんなりと受け止められる人々、
作中のボランティアのように感情の一部を割り切って進む人々と、
感情を受け止めきれずに、漠然とした罪悪感を抱いて進めない人々がいるのではないでしょうか。
もちろん感情の受け止め方に良し悪しはありません。
執筆したいとうせいこうも、東日本大震災では感情を受け止めきれなかったのではないかと想像します。
本文でも出てきますが、悲しんでいないということとは違います。
受け止めきれない漠然とした感情、気持ちを整理することは、個人的な問題でもあり、思い上がりであり、被災された方に直接寄り添うようなものではありません。
でも、
残ったものひとりひとりが、個人的に(いっぺんに被災するわけですが、体験は個人的です)その感情を整理することは、前に進んでいくことにつながります。
震災から5年がたち、検証が行われ、
復興や支援など行政の問題もゆっくりとではありますが粛々と進んでいます。
それでも消えないのは、
残されたものがあの体験をどう処理していくか?
ということだと思います。
答えは個人の中にあり、心のケアなどで簡単に解決できるようなものではありません。
震災から5年、
文学、物語の力が今こそ必要なのかもしれません。
近年の黒井千次の名作、「高く手を振る日」です。
内容(「BOOK」データベースより)
妻を看取って十余年、人生の行き止まりを意識し始めた嶺村浩平は、古いトランクからかつての大学のゼミ仲間・瀬戸重子の若々しい写真を見つける。そして甦る、重子と一度きりの接吻を交わした遠い思い出。思わぬ縁で再会した重子の勧めで、七十代にして初めて携帯電話を持った浩平は、秘めた想いをメールに込めるが…。恋に揺れる、老いの日々の戸惑いと華やぎを描く傑作小説。
前半に繰り返し出てくる、「行き止まり」の感覚、もちろん老いの先にある「死」です。
時に遠く、時に切迫した感覚として主人公にまといます。
ちょっと難しいかもしれませんが、この行き止まりの描写がすごい!
土鍋の中で粥でも煮るように様々の思いがぶつかり合い、曖昧に形を崩しながら次第にまとまっていく気配
黒井千次には、はっとさせる描写がいつもあります。
他にもメールのやり取りのくだりは名文の宝庫!
こちらは自身でご確認を。
ネタバレなしでいきますが、甘酸っぱく、切ない後半について少し。
老いてからの恋愛、
確かにそうなのですが、
最後に流れる古い時間。
詳しくは書けませんが、最重要なのは「家」です。
浩平が作ったモルタルの家、
灰色がかって濁った壁面、
小さな庭に所狭しと植えられた木。
何でもない、
おそらくおじいさんの家と聞いて僕らが思い浮かべるような家。
「あのおうちに住んでたのね」
重子の発する一言は、浩平、芳枝に対する、はたまた重子自身、彼らの世代全部に対する全肯定。
小説には書かれていない、たくさんのことが詰まった家。
人生と人生が、最後にまたクロスする。
何が起こったのか、そしてもう何が起こらないのか、承知しているようでまだ認める気にはなれない平原のような領域
老いについて書かれていますが、まだ達観しているわけではありません。
そして、この切ないかつ活き活きと感情豊かな老後。
今までの老人像を覆す、新しい老人像です。
でもこれは黒井千次の時代の老人。
これからの老いはまた違った形をたどるでしょう。
新しい時代を生きる私たちだからこそ、また違った老いが待ち受けているはずです。
その老いを私たちはしっかり生きられるかどうか、
毎日を誠実に生きて、
新しい生き方を模索するように、新しい老い方をも探っていかなければならないのでしょう。
老い老いと繰り返してしまいましたが、第一級の文学作品です。
老いを意識していなくとも(僕もそうでした)、引き込まれますのでご安心ください。
高校生以上、また保護者の方もどうぞ。
昨年やった音楽紹介。
だいぶ遅れましたが、せっかくなので昨年ベストを。
あまり新しいものを聞かなかった昨年ですが、ダントツの衝撃度がこちら。
以前の「ロット・バルト・バロンの氷河期」もかなりよかったのですが、今回のAtomは方向性も定まり、文学性のある歌詞に磨きがかかっています。
メディア掲載レビューほか
東京都出身の2人組ロックバンド、ROTH BART BARONのセカンド・アルバム。前作『ロットバルトバロンの氷河期』(2014年作)から1年半ぶりとなる本作は、アーケイド・ファイアなどがレコーディングしてきたカナダ・モントリオールにある“Hotel2Tango”で録音・ミックス。言葉の美しさが光りだす圧倒的なヴォーカル、そしてアルバム全体に通底する、これまでになく暖かでポップな質感で綴られた一枚。 (C)RS
一聴して思い浮かぶのはアイスランドの星、シガーロス。
でも、シガーロスフォロワーとはくくれない多様性がロット・バルト・バロンにはあります。
歌詞は昨年聞いたどの邦バンドよりも過激で攻撃的、
メロディーも日本独特の粘着感のある抒情性を出すことを恐れていないように感じます。
ジャンルはよくわかりませんが、
ジェイムズ・ブレイク、ボン・イヴェールといったソウル?フォーク?
ともシンクロ。
本も音楽も、新しいもの、古いものたくさん貪欲に吸収しましょう!